最近の東京は雨続きで、夜はめったに星も見られないけど。
今日だって、宇宙には幾千の星が輝いているんですよね。
7/13。ライブ「YKMM ONE-MAN LIVE!! 2019 -Don't stop ACTION!!!-」に行ってきました。3連休の初日。わたしは続く日曜と月曜にもライブとイベントに遊びにいく予定を控えていて、さ〜て最高の夏、始めちゃいますか!という気持ちでおりました。想像をずっと越えて最高の夏が、始まってしまいました。
YKMMとは。YKMM(やきみみ)は、コンポーザー&DJであるyksb(やきそば)と、ボーカルであるMiLO(みろ、通称みろし)とRemi Mitani(美谷玲実)(敬称略)によるGiRLs ELECTRO POPユニット。音ゲーアプリ「SHOW BY ROCK!!」のラペッジオートとタイアップして楽曲提供をするなどしています。元は「yksb feat.MiLO×31STYLE」というユニットで、美谷玲実さんは後から加入したのですが、その辺は一旦置いといて。
今回のライブは「Don't stop ACTION!!!」と掲げられたように、新体制となったYKMMのファーストアルバム「ACTION」を引っさげたものでした。各曲「action」「行動を起こす」ということをテーマに作られており、元気をもらえるアルバムです。
ライブでは、そんな「ACTION」の曲をメインに、既存曲やyksb feat.MiLO×31STYLE時代の曲もたくさんたくさん聞かせてくれました。ポップでかわいい楽曲、テンションブチ上がるかっこいいダンスミュージック、フロアも一体になって踊れる楽曲などなど。ライブ中はこの楽しい時間が永遠に続くのだと思えるもので、わたしも例に漏れずコーレスしたり跳んだり踊ったりしながら楽しんでいたのですが。
散々盛り上がる曲のあとに、YKMMがライブの〆に持ってきたのが、「BANANA」「Thousand stars」の2曲でした。
「BANANA」はアルバム「ACTION」に収録されている曲です。いわゆるバナナ型神話において、神様が石とバナナのどちらかを選ぶよう命じた際、石(食べられないもの、不変のもの)ではなくバナナ(食べられるもの、腐りゆくもの)を選んだ人間は、バナナに子ができると親は枯れる(死ぬ)ように、また、バナナのように脆く腐りゆくように、脆弱な身体になって、いずれ死ぬようになった。そんなエピソードを元に創られた曲です。
歌詞も、人の生の短さ、そしてその短い生の中でも欲望を満たしてくれるものを求める人間の性を示唆したものになっています。
心も体も始まっては終わって
僕らの僕らのパパもママも消え去った
命が命がたとえ一瞬のものでも
僕らは僕らは死ぬまで遊んでたいの
死ぬまで踊ってたいの
死ぬまで遊んでたいの
(BANANA/YKMM)
地下アイドルでもバンドでも2次元アイドルでもお芝居でも、生の舞台やライブというものに触れると必ず泣いてしまう人間なのですが、今回も泣いてしまいました。ステージから目が離せないままえぐえぐ言うほど泣いてました。
CDで聴いていた段階からかなり好きな曲で、ライブで聴いたらあまりにもセンチメンタルになってしまって死人が出そうだなと思っていたんですが出ました、死人。わたしのことでした。
BANANA、あまりにも切ないんですよ。
永遠ではなく一瞬を、未来に残りつづける石ではなく今の空腹を満たすバナナを人間は選んだんだ、と思ったら、身に覚えがありすぎて、理解は追いつかないのに魂でわかってしまって。そうだよねえ、と思ったら涙が出てきました。
わたしはアイドルが好きです。主に3次元の女性地下アイドルと2次元の男性アイドルが好きです。ステージに立っている一瞬に賭けてその命を燃やしながら輝く「アイドル」という存在、アイドルがアイドルでいることに対して巨大感情を抱いています。そんなオタクに、永遠と一瞬と欲望を歌った歌はあまりにも効きすぎました。
食欲でも睡眠欲でも性欲でも、はたまたアイドルや2次元コンテンツのエンタテイメントに触れて満たされる好奇心のようなものにおいても、何かを摂取したって欲望が満たされるのは一瞬であり、満たされながら生きようと思ったらあまりに多くのエネルギーを摂取し続けなければなりません。アイドルのライブは、2次元コンテンツのリアルライブは、終演の時間になったら終わる。アンコールもたった数曲で終わる。終わったら次のライブを求める。CDや円盤を求める。渇望と充足の回し車を必死に回して活力を得ながら、オタクは日々の生活を生きています。
けれどそうやってオタクが生きながらえることが、アイドルやコンテンツを消費して楽しむということが、それらがいかに難しいことか(「アイドルを消費して楽しむ」に関しては、同時に彼らの人間性や人権に思いを馳せてしまって残酷だとも思うのですが、その話はまた別の機会に)。
アイドルはいつかは引退します。志半ばで脱退することもあります。推し個人の動向ではなく、グループそのものが解散するかもしれません。アイドル自身が引き際を見極められたりグループの全員が納得できる決断をしたりした上での引退・解散・活動休止ならともかく、それが叶わない形で舞台を去っていくアイドルも少なくありません。地下アイドルは特に。わたしのかつての最推しは、ライブの当日に今日が彼女にとって最後のステージとなることを告げ、そのまま稲妻のように姿を消しました。
2次元のアイドルには引退や解散は無縁の話と思いがちですが、あながちそうとは言いきれないのでは、と思っています。特に最近増えている「母体がソシャゲの2次元コンテンツ」の場合は、売上によってかなりシビアに打ち切られていく印象があります。また、次元にかかわらず自分の心身が推しを追い続けられなくなることも多々あります。何かを好きでいること、好きなものを追いかけることは体力的・精神的に非常に大きなエネルギーを消費します。渇望と充足の回し車を回すには、自分の実生活に余裕がないといけませんし、コンテンツに触れる時間・体力、コンテンツに貢ぐための資金、コンテンツを100%楽しむための心の余裕がないと、コンテンツに触れていても満たされた気がしません。ファンの民度や公式の運営手腕、方向性など、好きだったものを素直に好きでいられなくなることもあります。
推しやコンテンツはいつまでも推していられるとは限らないし、自分自身もいつまでも好きなものを追い続けられるとも限りません。好きなものや推しを好きでいることのできる「今ここ」はあまりにも一瞬であり、未来に対して不確定であり、あまりにも儚いものです。でもそうして好きなもので満たされている一瞬はあまりにも楽しくて嬉しくて素晴らしい、尊いものなんですよね。だから我々は「死ぬまで遊んでたい」し「死ぬまで踊ってたい」んですよね。
というのを「ライブの会場で」「アーティストたちの生のパフォーマンスで」脳みそに直にブチ込まれてしまったので、センチメンタル通り越しておしまいになってしまったのですが。
でも、そうして我々を満たしてくれるアーティストの側が、YKMMが、BANANAを受けてライブのトリに歌ってくれたのがThousand starsだったんですよね。
最新のアルバムに収録されているBANANAとは対照的に、Thousand starsはYKMMにとって、また前身のyksb feat.MiLO×31STYLEにとって最初期の曲です。YKMMのコンポーザーであるyksbさんが、yksbさんとしての活動を始めるときに作った決意表明のような曲なのだとか。いやこの曲をライブの〆に持ってくるとかもうこの時点で涙腺がだめになってしまう。
止まらない僕のメロディ
消えかけた声に降り注いだ
今を写す無数の星の夜に
届けるんだ僕のメロディ
君を見失う言葉はいらないよ
夢中に輝く無数の星の夜に
(Thousand stars/YKMM)
この「止まらない僕のメロディ」、ライブではyksbさんもマイクに声を乗せてくれていたんですけど。この歌詞をyksbさんも歌ってくれたということは、「止まらない僕のメロディ」が「止まらない"僕らの"メロディ」になったということは、これはグループの総意であり決意でしょう。止まらない欲望をかかえた我々に向かって、僕たちの音楽は止まらないのだと訴えてくれる。2次元の存在である推したちもそうなのですが、時に我々の期待や欲望を軽々と飛び越えたものを提供して、我々を感動と熱狂に叩き込んでくれる。だからわたしはオタクやファンをやめられない。
ステージ上の彼らの姿を見ながら、わたしは目から涙を垂れ流し脳内に「すごい」「やばい」「ありがとう」「来てよかった」のテロップを生成し続ける機械になってしまいました。
アーティスト、アイドル、役者などの芸能人やスポーツ選手、芸術家などの第一線で活躍しつづける人を「スーパースター」と呼ぶ意味、そのような人たちが「星」である理由がすこしわかる。
彼らのような人々に対して、我々のようなただの一般人はその活躍・輝きを眺めることはできるけど、彼らに触れることはできません。同じ世界に存在していながら、どこか別の世界に生きているような気さえします。2次元の存在になるとより顕著でしょう。存在だけは同じ世界に在るけれど、彼らは生身の人間ではない。文字通り「別の世界の存在」です。
けれど、我々は時に彼らを「星」と呼びます。同じく宇宙に存在する太陽ではない。月でもない。星の光は太陽や月と比べればあまりにも小さいし、個々の星は月や太陽よりも寿命も短く、簡単に爆発したり消えてしまったりします。
それでも、そういう星の天文学的なスケールでの儚さは「そこに存在しない」わけではなく、確かに存在している、あるいはしていたものです。曇りの日は見えなかろうが、いつかは爆発して消滅してしまおうが、「そこに在る」「そこに在った」ものです。
この「在る/在ったという事実は残り続ける」という概念は、たった1つで地球の隅々まで照らすだけの光を放つという力を持っている太陽より、たった1つの「地球の衛星」という身近さと神秘的な光を併せ持った月より、近くにも遠くにも存在して個々は小さな小さな、だけど確かに目に見える光を放つ「星」に持たせたほうが、より大きな意味を持つのだと思います。
そして、太陽とも月とも違って、星は宇宙に無限に存在しています。それこそ千の星が、それ以上の星が、宇宙で輝いています。芸能人やアイドルがスーパー「スター」ならば、輝く幾千の「星々」ならば、きっとファンやオタクの数だけ推しは、我々にとっての「スーパースター」は、この世界に存在しているのだと思います。
と考えるとあまりにも尊くないですか。このBANANAからThousand starsの流れが、鳥肌ものに思えてきませんか。自分の推しのことが、なんだかとびきり輝いて見えたりしませんか。
終演後に行われた先行チケット購入者へのメンバーお見送りのときに「BANANAからの!!!!Thousand starsは!!!!!!!!泣く!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とyksbさんにぶちまける暴走機関車になってしまいましたが、直接伝えられてよかったなと思っています(ドン引きさせてしまっていたら本当にすみません)。
それでは皆さんも、各自の「好き」に誠実でいましょうね。
ふと思い出す 戻れないこと
選ぶときがまたきても
バナナを食べるのさ
(BANANA/YKMM)