「この海は、青いぼくらの墓標となる」
やられた、と思った。脳のどこかにある"好きなものレーダー"を強めに殴られたような気さえしました。短いクロスフェード動画の、この一言で好きにならずにいられませんでした。
「憂舟線」は、小説4編と楽曲5曲(とポエトリーリーディング)からなるノベルEPです。海上に浮かぶ環状線、4つの駅を舞台にした少年少女の物語。わたしの推しであるリアルとバーチャルを行き来するユニット・浮遊信号と小宵さんの最強タッグによる作品です。
青春時代にやりたかったこと、やり残したことをたくさん抱えたまま大人になって、わたしはかなり「青春」にまつわる作品に対する気持ちをこじらせているような気がします。憂舟線には、わたしがもう通り過ぎてしまった「青春時代」の気配を色濃く感じていて、手に取るのを心待ちにしていました。
あわい水色の封筒に入った、「憂舟線」の冊子とCD。それをゆっくり取り出す行為そのものが、青春のできごとを丁寧に思い返す作業のようで、なんてプロデュースがうまいのだ……と早々と白旗をあげてしまいました。
「憂舟線」の音楽について
わたしは浮遊信号のあとり依和さん、esora umaさんの歌声がとても好きなのですが、そこに小宵さんの歌声がびっくりするくらい「ハマる」のでさらに好きの気持ちが強くなりました。esora umaさんとマッチさんの音楽も、音でジュブナイルの雰囲気を出すのがうますぎる。全曲通して明るい光とやさしい波が揺れているような雰囲気が漂っていて、以前から抱いている「音楽をつくれる人は脳みその中どうやって動いてるんだろう」という疑問がますます深まります。
浮遊信号の二人の声は、ちょっとハスキーでさらさらした手触りだな~と感じるのですが、小宵さんは声の透明感というかツヤツヤした感じがすごい。高音を出すときにカーンと突き抜けるように最高音に到達するのも聞いていてとても気持ちがよいです。好きだ。
個人的に好きな曲は「風流れ」です。ボーカルのメロディがオシャレで、ギターがかっこよくて刺さりまくっています。ていうかボーカルのメロディめちゃめちゃ難しくないですか……?? あれを美しく歌い上げるのなに???
音もさることながら、憂舟線は歌詞やポエトリーリーディングの詩(後述するけど小説も)が、素敵な言葉を選んで丁寧に書かれているな、と感じます。歌詞を読みながら音楽を聴くと、かつて味わったことのある色々な感情や思い出のなかの出来事がぶわぶわ蘇ってきます。それらは小説や歌詞の中のようにドラマチックなものではなかったけれど、確かにわたしが感じたものなんだよな、という懐かしさや(勝手に)共感されている感覚があって、そういう作品に出会えてとても幸せだな、と思います。
わたしの一番好きな歌詞がこちら。
相対じゃない世界に沈みいまあなたは私の汽水域
あなたの中に私はいない漂って流れてく枯れ花実
(花溺の約束 Liryc:esora uma)
「憂舟線」の小説について
ハルとアキとトウヤ。三人は海上路線の駅で出会い、そして別れる。彼らが出会っていたのは青春の期間の、さらに短い時間のみで、その後も誰かと誰かがずっと一緒にいる、ということはない。人生のひとつの通過点にすぎないけれど、通過前と通過後でたしかに変わったものがある、ような。
一読して、懐かしくもあり、少し寂しくもあり、でも不思議と腑に落ちるような感覚で、しばらく胸がいっぱいになりました。人生を変えてしまうような出会いなんてそうそう多くはなくて(存在しないわけではない)、けれど人との出会いによって確かに変わるものはあって、それらをすべて集めて個人が形成されていく。そして、誰かと一緒にいた時間の長さと、その人が自分の人生における影響の大きさとは必ずしも比例しない。その「変化」の過程の一つが、海沿いの駅といううつくしい背景に丁寧に書き込まれている作品でした。
小説の中で特に好きなのは、アキとトウヤの出会いのシーンです。「鳥の架駅」で、「ここは酸素が足りていない。いつだってまるで深海のようだ。」というアキのモノローグがありますが、アキはその後トウヤと出会って「ここは呼吸が楽にできる」と感じています。
「呪いが解ける」物語が好きです。呪いを解いてもらったとしても、それ以上に二人の人生が交わることはないのもとても好きです。
舞台となった海には沈没船の話が伝わっているのですが、 それぞれの登場人物に「海に沈む」「深海」の要素を感じる台詞やモノローグがあるのはそのためかな、と思ったりしました。
個人的な感想や、「憂舟線」に触れて考えたこと
ブログの冒頭に、クロスフェード動画のラストの台詞を引用しています。この文章の何が好きかって、「青いぼくら」と「墓標」という生と死の対比があるからなんですよね。
わたしは「四季の中で一番『死』を感じるのはいつ?」という問いに「夏」と答えます。夏が一番生命のエネルギーにあふれているから。その季節に「死」を置くことで、夏の生命力の強さや、死の生命力の薄さや、二者は表裏一体であることをより際立って感じられるから。
同じように、「人生の中で一番『死』を感じるのはいつ?」と聞かれたら、「青春」と答える気がします。一番生命力にあふれて輝いている季節だから。
だから、憂舟線を手にとるまでは、「青春」を舞台にした、すでに「死んだ」僕たちの話なのだろうと考えていました。
でも、CDを聞いて、小説を読んで、なんとなく「憂舟線」における「墓標」は、「死の象徴」以外の意味もあるな? という気がしています。
わたしは、「思いだすためのフック」だと思いました。
墓標がある、ということは、それがある限りいつでも思い出すことができるということ。そして、いつでも思い出すことができるということは、安心して忘れられるということ、なのではないでしょうか。
当時の感情を蘇らせるもの、当時の出来事を思い出そうとしてしまうもの。そのフックとなるものが「環状線を浮かべた海」である彼らが、あまりにもドラマチックでうらやましくなってしまいます。
「憂舟線」は、わたしにとっての「墓標」となりそうです。