ともしびのうた

短歌/永遠と一瞬と欲望と星とバナナの話

とても夜食らしいカップラーメン

3年住んだ部屋から引越すために、断捨離と荷造りをしている。

とりあえず、一番ものが多そうで、一番要る/要らないの判別がややこしそうなクローゼットから着手していく。気づけば床一面に荷物が広がっていて、再び床が見えるようになるまでは眠れなさそう。

 

3年前は、まだ学生だった。

大学で使っていたレジュメや教科書をまるごとこの部屋に持ち込んでいて、今それが必要ないものになってしまったんだと気づいた。好きだった講義で使っていた参考書だけいくつか持っていく。本はあんなに捨てたのに、レジュメは一枚も捨てられなかった。とりあえず段ボールに詰めて実家に送る。

卒業式で袴を着た時の写真も出てきて、写真の中のわたしはだいぶ顔が丸くてパンパンだった。髪の長さは今とさほど変わっていなくて、このくらいの長さが好きなんだろうな、というところに落ち着く。

新卒で入った職場の研修プリントや、資格のための参考書を捨てた。書類は念入りにちぎって捨てた。少しだけ楽しい。

 

思い出の品はカラーケースに雑多に詰め込んであって、これも一通り目を通してはいらないものを捨てた。推しの地下アイドルの現場で使った、とっくに光らなくなったサイリウムを捨てた。あまり好きでなかったバイト先を辞めた時にもらった寄せ書きも捨てた。中高で撮ったプリクラも捨てた。プリクラって今も撮る人いるんだろうか。一時期集めていたポストカードもほとんど捨てた。

捨てたものの中でも、親友と撮ったプリクラと、幼馴染から誕生日にもらったポストカードだけは新居にも持っていこうと思った。

 

本とCDも、そこそこの量を捨てた。

実家から持ってきた勉強机を社会人になっても使っていて、机の下のシンプルな棚にはお気に入りの本とCDをずらっと並べていた。この机を使い始めてから、ここにはお気に入りだけを並べていたなぁ、と思う。

悩みに悩んで、CDをたくさん捨てた。推しの、推しだった地下アイドルのCDを、事務所の繋がりで好きになったアーティストのCDを、ぜんぶ捨てた。推しはもう地下アイドルを辞めてしまっていて、わたしにはもうドルオタをしていく気力が残っていなかった。CDを一枚一枚手に取って紙袋に入れるとき、タワレコやライブの物販でCDを手に取った瞬間がぼんやりと浮かんで、記憶はうつくしく風化していた。アイドルは時代を作るものだとつくづく思う。社会にも、人の中にも。

 

背骨と肩の関節と首の後ろから悲鳴が聞こえてきたので、いいところで作業を切り上げて夜食を食べることにした。3年の間にもう数え切れないくらいに使ったやかんでお湯を沸かす。

白い琺瑯のやかんは、内側が深い群青色になっているのがとても気に入っていて、夜の色だなあ、と使うたびに思う。夜の色の中で水がぐらぐら揺れているのが好きだ。電気ケトルが欲しかった時期もあったけど、なんだかんだこのやかんが相棒になっている。

 

夜に、作業をしていて、お腹が空いて食べるカップラーメンは何故だかとてもおいしかった。眼鏡を曇らせながら麺をすすっていると、これがカップラーメンを食べるシチュエーションのある種の「正解」、みたいなことが頭に浮かんではすぐ消えていく。

 

何となく文章に残しておきたいなと思って、スマホで文章を打ちながらスープを飲んだら98℃の醤油味がびょっと飛び込んできて舌をやけどした。

 

飲み切れなかったスープを捨てて、カップを冬の水でゆすぐ。とても夜食らしいカップラーメンを食べた。やっぱり一人暮らしはたのしいし、カップラーメンはおいしい。